東電首脳、総退陣へ、歴代社長四名と、原子力本部長
の五名が責任をとり辞任したのである。

 東電首脳、総退陣へ、歴代社長四名と、原子力本部長の五名が無理を
承知で続けた原子力発電の責任をとる形で辞任したのである。天理教も、
嘘を承知で押付けて来た、應法の理『天理教教典』を廃止し、歴代内統領
(教会本部責任者)と歴代教義及び史料集成部主任の辞任だけでなく、教
理の抜本的改革をしなくてはならないのである。

 宗教の改革と言えば、ユダヤ教の布教師、イエスが、聖書に書かれてい
る「律法」を守るより、神の心に添う行い「人間への愛が大切」と説いて、ユ
ダヤ教本部の役員たちに訴えられ、十字架につけられて死んだことは世界
中の異教徒にまで知られている。

 聖書に、厳守するように説かれていた「律法」は、ユダヤ人たちがペルシ
ャ(イラン)の奴隷になっていた時代に、ペルシャ王アルタシャスタに重く用
いられていたユダヤ人のエズラが、ユダヤ人の幸せのための神の教えよ
り、ペルシャ王の気に入る「律法」を作り「聖書」としていたのである。君主
が承認した文書の方が神の教えより守らなければならないものになってし
まうのである。

 教祖は「天皇も人間、我々百姓も同じ魂」と言い切って二十五年の命を縮
められても、世界たすけをすすめられたのである。明治三十六年山澤為造
の方針で「天皇と天皇の先祖が神、我々民とは魂が異なる」という「天理教
教典」を作り、「天皇も人間」と言い続ける教祖の弟子たち、泉田藤吉、万
田万吉のような名だたる布教師たち千四百名もの天理教教師を辞任させ、
中には死を迎えた人も居たほどの圧力を加えて、「天皇とその先祖が神で
ある」という教えを徹底させて、明治四十一年天皇公認宗教「天理教」とし
て一派独立し、管長は「勅任官待遇」という地位を得たのである。

 山澤為造によって作られ天皇公認となった「天理教教典」を批判する事
は、天皇に反逆する事になり、後には一歩間違えば治安維持法によって死
刑に処せられると怖れられたのである。

 明治四十二年の天理教婦人会第一回総会における東本初代会長は「教
祖のひながた……」と言ったまゝ絶句して、嗚咽にむせび、満場感動の涙
となった。十五秒の名講演として語り伝えられている。「二代目教祖」とまで
言われていた、中川よしは、教祖のひながたを語るに語れなかったのであ
る。

 よしの夫である中川弥吉は、中津大教会初代会長泉田藤吉と共に布教
していたが、泉田藤吉が「天理教教典」よりも「教祖のひながた」を説く事を
理由に、教会長も、天理教教師も辞任させられ、直後に急死したことによ
り、西国布教に挫折し、東国布教に切換えて、出来たのが現在の本杉分
教会である。櫟本分署跡保存会代表の父八島松四郎は、中川弥吉、よし
夫妻の秘蔵児と言われた弟子である。

 現在使われている教典は、敗戦により、古事記・日本書紀に基づく多神
教の「明治教典」に手直しを加え、GHQの占領政策に合わせ、前編は一
神教、後編は輪廻転生に作り変えたが、現在の教典の編纂に当たったの
は「明治教典」の山澤為造の長男中山為信で、山澤良治郎の泥海古記に
基づいて、イザナギノミコト・イザナミノミコトたち十柱の神名を具えた唯一
の神、天理王命ということになっている。

 上田嘉太郎道友社社長は、現教典を無視して、十柱の神などと印刷物を
出しているが、教祖の教えに復元するどころか、山澤の泥海古記の立場に
立っているのである。

 国生みの神話や泥海古記の話は、聞かされると、誰でも争いたくないの
で信じたふりをするのであるが、誰も信じてはいないのである。神話として
なら否定しないが、歴史的事実とは思えない、というのである。信仰は実生
活なのである。

 天理教教会本部の修養科は、教典の授業を行なっているが、入学者が
教会長子弟や親戚の者だけに減っている。天理教はすでに潰れたとまで
言われている。「起死回生」の妙薬は、「天理教教典廃止」である。教典を
廃止すれば後に残るのは教祖の教え、おつとめの教えだけである。

 いまゝてにない事ばかりゆいかけて よろづたすけのつとめをしへる   
   六 

 信者になった人は、皆おつとめか、その圧縮形であるさづけによって、教
祖のたすけ一条の心を我が心とする信仰で、分け隔てのない真理に基づく
生活になってたすかって入信したのであるが、献納と服従によってたすけ
られたと言い聞かされ押付けられて、拝み祈祷の歪んだ信仰に流れてしま
った人が多いのである。

顕正教祖伝 第六回
顕正教祖伝 第六回



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